Solution-創作ネタ置き場

個人サークル「Solution」としての音楽と、おまけの小説、あるいは創作全般のあれこれについて。雑談も多め。

【創作全般】解釈は味だと考えています。

食べるのが大好きで、なかなか痩せられない。 うらひと @Urahito でございます。
今回は、創作に関わる「解釈」について、マストドンで話題になったので、自分の考えをまとめてみます。

ここではあまり書くことはありませんでしたが、元々自分は二次創作畑の人間でした。
もしかしたら、今もそう「解釈」できるかもしれません。
(ふたりオムニバスシリーズも、お題に対する二次創作、という感覚で作ってます)

二次創作において(もちろん一次創作もですが、二次創作は特に)、その作風というのはそれを見る人にとって好き嫌いを左右するものです。
もし嫌いな作風であったり、「解釈違い」が存在したなら、それは自ら避け、思いがけず当たった場合も波風を立てない、というのがマイルールです。

創作(絵、小説、漫画、音楽など)には、好き嫌いがあって良いのです。
もちろん、不味くても栄養になる(創作で言えば勉強になる)ようなものもあるでしょう。
それは、料理の「味」と似ている気がしたのです。
自分は、ひとつの解釈のみをずっと愛するような人間ではなく、様々な解釈を見ないと飽きてしまいます。
これは、ひとつの味しかしない料理を食べていると、味を感じなくなってしまうのと似ています。

これを、まず「解釈違い」に当てはめると、例えば「目玉焼きにおけるソース派・しょうゆ派」のようなものでしょうか。
ソースじゃないと食べられない人もいれば、しょうゆでないと食べられない、両方だめ、両方いける、という人がいるわけです。(鶏のから揚げにレモンをかける・かけないの話もそうですね)
「カップリングの前後問題」も、「材料を入れる順番」みたいなものでしょうか。
他にもいろいろ例えは思い浮かびますが、割愛しておきます。

味付けは作る人によって様々ですし、また薬味や調味料の好き嫌いも食べる人によって異なるのが普通です。
同じ味付け(作風)が好きな人たちが自然と同じレストラン(ジャンル)に集まるのも、難しい解釈ではないはずです。

自分は、ある程度味付けに好みはありますが、調味料程度の違いであれば、割と色んな味を楽しむようにしています。
逆に嫌いな味だろうというものは口にしない、レストランに入るのを避ける、といった行動をとります。

まあ、この例えで難しいところは、Twitterのような回転寿司(しかも「あちらのお客様からです」パターンもある)みたいなタイプでしょうか。
嫌いなものは手にとらなければいいのですが、それでも見てしまうもの、「あちらの(略)」されたものは確かにどうしようもありません。
その場合は、(例えですが)そっとレーンに戻すしかないとは思います。ただひたすら「見なかったことにする」のが一番でしょう。

考えてみると、ふたりオムニバスシリーズは味がしない、料理の材料そのものを作っている気分かもしれません。
それはそれで、なんだか、不思議な気分です。